ふと思い出す。忘れる訳がないあの友人を。

                   
                   


(右下はハゲ、上は予備軍だ)

ある方のブログを読んでいたら思い出してしまった事がある。当時はスマホもまだなかったし、仕事に明け暮れる毎日だったほうが記憶にあるが、この時期にはいつも思い出してしまう

(泣きながら上京したなぁ)
当時23になる年だった。入社5年目になると行われる”ヨーロッパ研修”ロンドンとパリにあるロレアルのスタジオでの研修旅行だ。その時に有難い事にそのメーカーの部長も同伴する中で僕が何故か同室というハードラブを上司から任されていた。

例年行われているもので半年、一年近くまえくらいからそんな話は上がってくるもので、とにかく粗相がないようにと緊張していた。G.W明けに行くわけだがその前は、卒業入学と毎日忙しくしている事もあり、休んだ記憶があまり無い。

そして研修旅行の1ヶ月前の時におこった。

「まこっちゃんが交通事故で意識不明だ」

今となっては誰からの電話かは覚えていない。僕は東京で彼は名古屋に就職していた。

 
名古屋へは行った事は無かったがとにかく行かなきゃという意識で無理やり休みを取って名古屋へ向かった。

名古屋から私鉄に乗り継ぎそのまま病院に向かった。病院には家族や当時付き合っていた彼女(同級生の妹)がずっと連れ添っている状態であった。

意識不明なのでずっと起きるかどうかを皆んなが待っている状態であった。サッカー部であったからボールにメッセージが書き込まれていたりとお見舞いの品も沢山あった。

ノーヘルでの交通事故だったと聞かされて、何となくなるほどと理解してしまうくらいのお調子者ではあったので納得もした

何故かその時は”早く行かなきゃ”という胸騒ぎがあった。仕事も忙しく研修旅行も控えていたので準備とかでの時間も必要だったが半日あれば行けると思い朝一で向かっていた

とにかく胸騒ぎが止まらなかった

お互いに近いかなと思いそのうち会って飲もうみたいな話もしたりしながら上京して5年目を迎えていた

時間もない為にお見舞いに行っては直ぐに帰ってしまったが「まあ大丈夫だろうと」変な安心はあった。彼はいつもそういう感じの明るさや、周りからの信頼があった。人からも好かれやすく、たまに敵も作るが仲間想いのいいやつだった。

そして研修旅行の前日だった。

「まこっちゃんが亡くなった」

言葉を失った

変な自信があったし、理解出来ないというのが正しいのかもしれない(未だにそうです)

ましてや明日から研修で、メーカーの部長と同部屋という上司からのお達しでもあり何とか応えたいという気持ちも強かった。

僕は仕事をとって葬儀には行かなかった

未だにこれで良かったのかどうかは分からない

仕事はお陰様で大変ではあったが、全う出来たと言えるくらいは出来た。それもありそこからは沢山仕事も頂けたりと仕事はいい方向に向いて行った。

夏休みが9月頃だったとは思うけど、周りには少し気を使って高校の担任にお墓を聞き、1人でお参りに行った。

「葬儀に行けなくてゴメン」

虫の知らせとかはわからんが、その1ヶ月前に病院にお見舞いには何としてでも行かないと行けないという気持ちが強かったのはそのせいだったのかもしれない。

未だに思い出す。

時間もだいぶ経ってしまい細かい所はどんどん忘れてしまっているが、ケータイの番号はそのまま入っている。違う人がその番号を使い今はラインのアイコンが赤ちゃんになっていた。

夢もみた気がするが、あまり思い出せない

年をとるというのは、そういった場面がこれからもあるという事だ。その後も色々と立ち会ってきた

身近な人や、仲の良かった人

生きるというのはそういう事でもある

忘れてはならない

その人達と出会って沢山得た事がある

ただ忘れてもいく事でもある

たまに思い出したりするだけでも、いいんじゃないかって

忘れてないし、忘れられる訳がない

改めて記録に残したいと思って昔にひたってみてもいいかと思っただけだから


orbeloure

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